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【百年シリーズ】森博嗣『赤目姫の潮解』の感想と考察【ネタバレあり】

 

 

あらすじ

赤い瞳、白い肌、漆黒の髪をした赤目姫。彼女の行く先々で垣間見える異界……。思考の枷、常識の枠をやぶることが出来るものだけが、受容できる世界。そしてその世界に存在する自由と真理。透徹なイメージと魅惑的な登場人物で構築された哲学的幻想小説。

出典元:https://bookclub.kodansha.co.jp/title?code=1000021673

 

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お気に入りの一文 

 

感想と考察(ネタバレあり

百年シリーズ最終作となる本作。前作、前前作を読了して、ようやくこのシリーズの世界観にも慣れてきたところだったのだけれど、過去作とは全く毛色の違う作品だったので驚いた。読んでいる途中で「あれ?これって百年シリーズであってるよな?」と調べ直してしまったぐらい。

まず、本作にはプロローグや登場人物の紹介がない。森作品でこの2つがない作品は初めてであるように思う。「登場人物の紹介がない」というのが本作を紹介する上で一番のポイント、というか特徴といえるかもしれない。本作は主人公が誰なのかすらわからない。今までの主人公であるミチルが出てこないし、ロイディも出てこない。2人の会話を楽しみにしていたというのに。前作でミチルの旅についてくることになった2人はどうなったのだろう。プロローグと登場人物の紹介がないだけでなく、目次の書き方も独特だったので、おそらく本作を解き明かす上で重要な役割を果たしているのだろうと思う。知らんけど。

最初の章で登場する小説家の鮭川と医者の篠柴の2人は、頭が良くてとても魅力的に感じた。過去作ではカタカナ表記の登場人物しかいなかったのに、いきなり漢字表記の人物が登場したのは意味がわからなかったけれど。百年シリーズは僕が森作品に一番求めている「天才同士の会話」が不足していると思っていたので、この2人を中心に物語が展開されるのであれば、面白くなりそうだなと感じたのだけれど、直接的にこの2人が話すシーンはそこまで多くなかったので残念だった。

とにかく難解な本作。難解というよりは親切ではないという印象。読み進めていく内に登場人物同士の相関図が頭の中で完成していくだろうと思っていたのだけれど、ついに読了した今でも相関図が完成することはなかった。ごちゃごちゃのまま。これは難解であるからわからない、というよりも、意図的に理解できないように書かれてることが原因であるように思う。つまり、もう一度読み返したところで、理解できないのではないだろうか。おそらくそう。どう考えてもヒントが足りない。少なくとも凡人には。どうやら百年シリーズはまだ未読であるWシリーズと深く関わりがあるらしいので、そちらのシリーズを読み進めることで情報が補完されるのかもしれない。

この感想を書きながら、本作で登場したキャラクターは全員漏れなく「お人形」で、いわゆる実在する人間は1人もいないのではないかという案が頭に浮かんだ。だからこそ、本作には登場人物の紹介がないのではないか。そう仮定すると、過去の2作も過去シリーズの100年後なんかではなく、誰かが造りだした、ただの「お人形遊び」の世界である、というような気がする。前作、前前作には登場人物の紹介があったけれど。

この人形遊びをしているのは誰なのか、と考えると、今までの主人公の名前がミチルであったことや、この遊びをするには天才を演じるだけの天才である必要ある、ということを考えると、四季の娘しか思い当たらない。つまり、この百年シリーズという名のお人形遊びはミチルが生きていた頃、『すべてがFになる』よりも前に造りだしたお話なのではないかというところまで妄想を膨らませてみた。「赤目姫」という幼稚なネーミングも、子供が造った物語だからと考えれば無理やり納得がいかなくもない。

とにかく、本作は全然理解できていないけれど、これでようやく百年シリーズを読み終えることができたとので達成感はある。百年シリーズは「お気に入りの一文」も少なく、あまり好みではなかったので、早くまだ読了していない他のシリーズを読み進めたい。

そういえば、本作にはバットマンの例え話が出てきたけれど、森先生がバットマンを知っているのは意外だった。なんとなくアメコミなんて観ていなそうなイメージ。マーベル作品を観ていたりするのだろうか。気になる。